炭焼日誌ファイルB  1996〜99

炭焼きこぼれ話

クヌギとナラとクリ、そして炭

チェーンソーってやっぱり怖い

お金でないお金

「諌早・若い漁師たちは今」

まき割開眼

もののけ姫を観たい

「もののけ姫」のその後

元気をもらった全国の炭焼き人たち

炭焼き窯で焼き物

子供と機械

炭窯から出火寸前

住宅地と煙

 

クヌギとナラとクリ、そして炭  1996/4

 クヌギとナラの区別って難しいですね。立っている時は、葉をつけている時はもちろん、葉がなくても樹皮のほりの深さの違いではっきりわかるし、細かく切った後でも幹の部分はその樹皮の違いでわかるのですが、問題は枝の先端部分です。クヌギに似たナラ、ナラに似たクヌギがあるんです。新米炭焼き人としてはかなり難しい。

 しかし、不思議もので、ナラなんかは、細い枝の樹皮を見ると一見桜かなと思わせるものもあるし、クヌギに似た物、クリに似た物といろいろあって、これは木の個性なんでしょうか。まぁ、クリとはもともと似ていて、一年前ころは良く間違えて、どこがちがうんでしょう?って教えてもらっている方に聞いたりしてました。ただ、言葉では説明しずらそうでした。植物園に行って聞いてもどうもわからない。今はほぼわかるようになってきました。気品と言えるようなものがナラにはありますね。そういっちゃ、クリに失礼か。切った面の色がクリはクリ

らしい色をしていて、ナラは美しい。またも、失敬、クリさん。 なによりも炭に焼くとはっきり違います。クリは堅い木で、線路の枕木なんかに使われていたらしいのですが、炭に焼くとその成分の関係でガサガサの軽い炭になって、しかも一端火が付いても途中で消えるらしい。でも、火力はある。で、鍛冶屋さんは常に風を送って、クリの炭を使ったと言います。鍛冶屋さんもぜひ復権してほしいな。そうすればクリは炭としても輝きを取り戻すんですが。

 

チェーンソーってやっぱり怖い   1997/5/26

 一昨日、チェーンソーで地下足袋の上から足の甲を切ってしまって、病院へ直行し、5針程縫いました。

 炭材を早く入れようと切れないのがわかっていて、研ぐ時間をおしんでそのままやっていて、切れないので変に力が入って、普段の予想を超える所に刃がいってしまいました。切れない刃物は怖いと思い知らされました。 今回はたまたま手伝いしてくれていた方がいて病院まで連れていってもらいました。自分だけだと車の運転はきつかったでしょう。まぁ、今回は山でなく仕事場で、ぎりぎり携帯電話の使える範囲でしたので、いざとなれば救急車という手はあります。ただ、携帯が使えない場所で、しかも道から少し入った山で、自力で下りられないとなるとどうすればいいんでしょう。止血などの応急処置はできるとして、そこから先、帰宅が遅いことで捜し始めてくれるまで待ち続けていられるケガならいいですが、なるべく早く処置しないとヤバイ場合、一人で山に入ることが多い私なんかはうまい対策を考えねばなりません。

 

 私のケガは今年になって2月、3月に続いて、3回目で、病院でも「またですか」と言われてしまいました。前の2回は仕事場で炭を切っていた時に丸ノコで指先を切ったもので、今回山仕事につきもののチェーンソーではじめてやったのとは重みが違います。工場で働いているころから、ケガのつきない私だったので、2年前に山仕事を教わりはじめたころに毎日のように聞かされた「とにかく安全に、ケガしないように細心の注意を」ということを肝に命じなければと思ったところです。

 

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お金でないお金   1997/6/10

物々交換というのは、物を持っている者どうしが、相手の物を欲しがってはじめて成立しますよね。それをそうでなくても、取引きできるように計算貨幣なるものを使う。各自が最初は+−ゼロからスタートして、物を供給すれば+、提供を受ければ−のポイントになる。このポイントは現金に換えることはできない。−を減らすには自分で作った物を提供するしかない。お金がなければ、生きていけず、お金に振り回されている、ある意味では非常に「貧しい」私達のありようを少しでも見直し、見つめなおす意味からもおもしろいと思うのですが。

 カナダなどで、「地域交換・交易システム」という、地域通貨を用いた財とサービスの交換の実験がなされているのですね。『循環の経済学』の中の丸山真人「経済循環と地域通貨〜コモンズとしての貨幣を求めて」に書かれています。

 このことは、この本を読んでの思い付きです。実際にこのシステムを作ろうすれば綿密な仕組みを作る努力が必要でしょうし、はじめたにしても運営もかなり大変な労力がいることでしょう。私としても、もっと調べてみたいと思います。

 理念的なこともう一言。内山節氏が「資本制商品経済の社会というのは、物をつくって、売って、利益を得る社会ではないのです。そうではなく、お金によってお金をつくりだすシステムを持っている社会こそ、資本制商品経済の社会なのです。」(「自然・労働・協同社会の理論」)というこの社会に小さな、小さな風穴を開けられればと思うのです。

「諌早・若い漁師たちは今」   1997/6/14

  昨日のNHK青春探検「諌早・若い漁師たちは今」見ました。

 干拓は諌早湾の一部で、干拓によって干潟がなくなるわけではないという意見も聞くが、堤防によって、漁師として生計を建てていくための漁場が失われたという意味では、干潟はすべてなくなったというのがこのTVで良くわかりました。

 堤防の外の漁師たちは、諌早湾全体を漁場にしていたが、主な貝の漁場が干拓地から離れていたため、漁に影響はないだろうと漁業権の一部を手放した。だが、実際に堤防の工事が始まってみるとみるみる貝や魚が減り始めた。海を守ろうと計画と異なる工事に抗議運動を激しく行ったが、工事はそのまま続き、ついに4年前頃にはまったく漁ができなくなり、ほとんどの漁師が丘に上がることを余儀なくされた。

 最後まで抗議運動を行った漁師たち8人が、会社を設立して、10年かかるという干拓工事の下請けを請け負っている。最近の干拓の是非を言う論議の高まりで仕事にならない日もある。「ほとんどが遠くに越して行った。でも、われわれはまた船に乗る日に向けてここで暮らし続けていくために、工事の終わる10年後には漁のできる海にして欲しいと言い続けつつ、今こういう仕事をしている」

 4年前まで船に乗っていたが、今は北九州で湾岸工事の仕事に出ている若者。休日には、両親がやっている、たった一つ残されたアサリの養殖を手伝う。しかしこれも中くらいの大きさになると、なぜか死んでしまう。「干拓の仕事だけはしたくなかった。騒ぐならもっと早く騒いでほしかった。もうもとには戻らない。でも、海に貝や魚が返って来たら、また船に乗りたい。それはみんなと同じだ」

 本当に身につまされる話でした。海と山で、ぜんぜん場所も仕事も違うけど、同じ自然を相手にする者としてなんかたまらないものがありました。

 この人たちがやっていた抗議の運動をまったく知らなかったことが、恥ずかしいです。この抗議運動の4年前頃ではなく、今、「ムツゴロウを守れ」と運動が盛り上がっているというのは....

 

まき割開眼 1997/8/5

 昨日はおもいっきりまき割りをやり、ついに、開眼しました。

 長さ91cm(3尺)のまきを割っています。これが、この三分の一程度なら、パサッとマサカリで結構気持ち良く割れます。

 長いから大変です。こんなまき割りは炭を焼く場合以外はやらないと思います。ただ、炭にする時は割るか割らないかでかなり炭のできが違ってきます。約10cm以上の径の木を割ることは、締まった炭、その分カロリーも高い良い炭を焼く必須の作業です。

 必要な物は、マサカリ(小さめの斧に柄が90cm)、大ハンマー(柄90cm)、矢、それに一応チェーンソー。木が自然に乾燥で割れて来るその位置にマサカリを降り下ろして、裂け目を縦につけ、そこに矢をハンマーで打ち込んで割って行く。マサカリを狙った位置に降り下ろせるかということはありますが、それよりも最大のポイントは矢です。ハンマーが鉄なので、木で作ります。小(径6cm程の枝で片方に傾斜をつける)、中(小の同程度の枝で両側に傾斜をつける)、大と最低三種作り、この順に割れ目に先をかませて、たたきこんで行く。特に小と中は角度をなるべく緩めにして、たたき込む時に入り安くする。小はすぐにハンマーで叩くとつぶれるので、10個程作って作業にかかる。これが要。矢さえしっかり作れば後はスイスイなのです。

 そしてチェーンソーは極力使わない。太いものはマサカリが食い込まずついついチェーンソーを入れたくなりますが、これは割るのではなく、切ることになり、木が割れたがっている位置をはずして、繊維を斜めに切断してしまって、かえってその後が割れにくくなる。使うにしても、節が大きくてなかなか割れない時、その部分の切断のみに使う。

 50万するまき割機という機械はあるのですが、これで機械なしでもある程度のペースで割る自信を得ました。なんか得しちやった。 炭に適した木では、割れやすい方から、クヌギ、カシ、ナラの順です。クヌギは、マサカリ二振りだけで、スパっと割れてくれたりします。これは気持ちいいです。

 

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もののけ姫を観たい  1997/9/17

 木一本切るのもだめという自然保護は違うと思います。人が自然の一部となれるのか、それともそもそもなれないのか。私はどうしたらなれるのかを探っていきたいと思っています。

 「もののけ姫」に出てくるたたら製鉄というのは炭で製鉄するこの国古来からのやり方です。自然の生産力を落とさない範囲内で、余剰分の木を切って、炭にしたから、永年続いてきたという話もあれば、たたら製鉄の盛んだった中国地方ではやはり木を切り過ぎたから、大山などは禿山になって、川が養分を流さないから鳥取砂丘もできたという話もあります。映画がどう描いているのか、早く観たいと思ってます。

 

「もののけ姫」のその後   1997/9/26

 やっと観ました。

 この後、彼らはどうしていくのだろう。私はアシタカとエボシは結構自然と折り合いをつけながら、少なくともいい関係をめざしてやっていくんじゃないか....って感じました。というかそうあって欲しい。

 自然に対峙して、自然をなんとかコントロールしていくしか生きて行けない、しかもそれを意識化してしまう、それが人間というものだとは思います。それでもなおなんとか自然とともにやっていく道を探りたい。

 「シシ神は死んで、もうシシ神の森ではなくなってしまった」というサンに対して、アシタカが「シシ神は生と死を合わせ持っている。だから生き続けているよ」というようなことを言って「私はたたらで生きる」と言います。一方エボシも「私が山犬に助けられるとは。今度はもっといい村をつくろうよ」と言います。

 エボシはこの戦いで、人間の力に及ばぬ自然を征服しつくそうとした時、どのような結果をもたらすか思い知らされたと思う。彼女と、自然に畏怖と敬意を持って何とかともにと考えていたアシタカは、自然そのものの代弁者としてのサンと折り合いながら、人間と自然のいい関係を追い求めて行ける。失敗や挫折はあるだろうが、結構うまくやれるのではないか。もっと大きな力が押し寄せて来るまでは。

 実際、たたら製鉄は、古来から明治に洋式大規模製鉄が導入されるまで、この国で営々と続いてきた技術です。これだけ続いてきたということは、その土台たる自然となんとか折り合いをつけてやって来たからでしょう。燃料として使う木炭は、自然の生産力の範囲内で生産されていたようです。炭原木は切り株から萌芽し更新するので、10年で木を伐採するとすると毎年10分の一づつを炭焼き人に割り振って、木を切り炭を焼かせていたと言います。たたらは、どこかの本に自然とともにやってきたほとんど唯一の二次産業ではないかと書かれてました。

 炭焼き人である私は、エボシとアシタカにぜひこの後、神=自然とともにたたらをやっていて欲しい。この時代にもこのような生き方が求められているのだと思います。今、一次産業に関る人の中にどこまで、神が生きているかというとかなり希薄にはなっていると思います。それでも死んではいない。たとえば、私の師匠によると山に入ってはいけない山の神の日というのがあります。

 

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元気をもらった全国の炭焼き人たち  1997/9/20

 9月18-19日に鳥取の国府町で開かれた全国木炭サミットに行ってきました。

 行く前まではどんなかなぁと思ってましたが、はじまると会場は満杯。北海道から沖縄まで500人以上集まってました。

 同業の炭焼きさんたちとまた出会えました。研究者や行政関係者に流通業者さんたちも結構いたとは思いますが、生産者も多いみたいでした。県レベルで生産組合がしっかり組織されている石川県などは貸し切りバスで会場までやってきたりして。

 まずは8月の炭やきの会の総会で会った静岡で竹炭を焼いている女性と長野の鬼無里で白炭を焼いてる26才の男性と再会しました。初めて話した方は、鬼無里で脱サラ後3年炭焼きをやっている48才の男性、石川でやはり脱サラ後7年黒炭を焼いて、木酢液もさばいて収入もだいぶ安定してきたという50代前半の男性、京都で炭より木酢液でほとんど収入を得ている40代後半の女性、群馬で炭を料理店に直送し、木酢液も手作りの蒸留器で蒸留して飲料用として桜の木酢液を広げている60代の夫婦という方たちでした。

 話していて、一番もらったのは元気です。そして、炭焼きでもなんとか生活していけるのかなぁというほのかな希望もです。

炭焼き窯で焼き物   98/5/15

  一度やってみました。灰の色、まさにグレーに炭が光ったシルバーがかかってなかなのものでした。私の場合、仕事場の山の土に焼き土を混ぜてこねたものなのですが、低温で熟成する粘土を買ってくればより確実かもしれません。炭窯(黒炭)の内部は、前部の上の方で、最高800〜900度くらいになりますので。

 

子供と機械  98/12/1

 5才になる子供を窯場に連れて行くことがあります。最近は誘ってもあまりきてくれませんが、行くと炭で絵を書いたり、炭をたたいて遊んだり、時には原木を運んでくれたり、焚き火の番をしてくれたりと、顔と手を真っ黒にして、結構楽しんでます。 でも、何と言っても大の苦手が機械です。窯場ではチェーソーや炭を切るのに丸ノコを使います。その音がだめで、一生懸命耳を抑えているのですが、すぐにワンワン泣き出してしまいます。理屈を越えて怖いようです。今日は機械を使わないからというのが、窯場への最低の誘い文句です。

 昨日は子供を連れて行ったので、仕方なく金ノコで炭を切りました。そうすると、「おもしろい」と言って見ているんです。確かに、手で切るのはのんびりしていて、鳥の声や草木のざわめきも風の音も聞こえて、しかも安全です。

 山で使うクローラ運搬車や刈払い機も機械って音がうるさく、かつ危ない物です。手道具でなく機械になった時、「遊び」の余地はなくなって、純粋にお金を儲けるための行為になる。それらの機械を使っても、山仕事や炭焼きってお金に結び付けるのが難しい行為ではありますが、手道具だけでやっていたら絶対にお金にはならない。

 逆に言うと、安全とゆとりと自然の音を聞く楽しさと引き換えにお金を得ようとしている。そして、それは子供を仕事から引き離してもいる。良き時代って、子供が仕事をする大人の回りで遊んでいられた。自然を相手にする農林水の仕事にも機械が入って来て、子供は仕事と仕事をする大人から分離された。

 子供とできる仕事っていうのも片方で追求したい。それは大人にとっても、危なくなくて、楽しめる遊びそのものだろうから。

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炭窯から出火寸前  99/1/18

 1/13日に窯止めをして、その翌日の14日の夜、炭窯わきの外壁にしている丸太から出火、6本ほどあった丸太を燃やし、その後自然鎮火してくれました。炭窯小屋は柱が焦げた程度ですみました。ここ小川では一月半も雨がありません。山にまで達していたら、えらいことになっていました。

 私の窯は後ろ半分は山の地をそのまま使いました。山の部分に残っていた根が、内壁のひびから空気が漏れて、徐々に炭化していき、今回発火にいたり、この根が導火線となって火が回ったわけです。今年の異常乾燥も原因の一つでしょうが、窯作りの時は、根っこは完全に取り除くか石などで遮断せねばならないということです。

 火事を出す可能性として、最初の口焚きの焚き火、炭化最後の300度近くに達した煙突口、高温になって収縮した天井の落下を考えてきましたが、窯の壁の中の可燃物からとは…

 2日かけて根を掘り出し、外壁を石にしました

 

住宅地と煙  99/2/1

 先日、焼いている最中に、「2k先の新興住宅街から臭いの苦情があって、調べに来た」と役場の人が来た。煙を出す所を全部回っていると言う。ここ小川町は池袋まで70分、人口も増えています。ベットタウンとしての「環境」は守らなければならない。

 どこの家庭でも、炭を使っていた頃は炭焼きの臭いも許容されやすかったでしょうが、多数の人にとってかかわりのない今は違う。 つい400mの所にも、住宅地の造成が進んで、販売も近い。そうなったらかなりヤバイ。

 低温段階の薫製臭に近いものは、木酢液採取煙突は煙がほぼなくなるくらいまで長くする。問題は最終段階の鼻を突くガス臭です。窯の煙突口周囲を中で作業できるくらいに大きくステンレスなどで囲う。そこからの煙の出口を50cm四方くらいにして、そこに炭または触媒を置いて、臭いや有害なものを吸着させる。またはそこに小さな炉を作って、炭を燃やして煙を燃焼させる。いろいろやってみたいと思います。

 

 

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最終更新日2000/12/12