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山・山仕事を語る
▲切ることで守るもの 97/4/26
はじめて立ち木を買った山のかたづけがやっと先日終わりました。 この山は30年物だったようで、前回切った方が通りがかって、「30年前に俺が切ったんだよな」と言ってました。太い物で、一抱えもあるようなクヌギは、運びだすのに本当に苦労します。しかも、割らなければならない、なのに炭としての値段は随分落ちてしまいます。 炭材としていい材とは、径2〜3cmから10cmくらいの曲がりのない物です。そのためには、12年くらいでしっかり切ってやることです。その方が年老いた木よりも萌芽する力もあるわけです。今回の30年物の木がしっかり萌芽してくれるか心配です。 小川町という池袋から小一時間の人家のまん前の山でこうなのですから、日本のあちこちに大きくなり過ぎたコナラやクヌギがどれほどあることでしょう。もうそろそろ遷移が進んで、東ではブナ、西では常緑樹の森になりかかっているかもしれません。確かに、これらの極相の森を守ることも必要ですが、コナラやクヌギを中心としたいわゆる「里山」も豊かな生き物の居場所を育んできました。 植林に対して、<切ること>はまだまだ肩身が狭い風潮があります。その大切さがもっともっと広まってほしいなと思います。 コナラ、クヌギといっても、ここらでは、つるの優勢の所では下刈りをやらなければただの薮になるようです。今回の山の行く末をしっかり見て必要なら手を入れていきたいと思っています。もちろん開発されてしまってはもともこもありませんが。 ▲里山の価値 97/4/28
堆肥の原料を供給し、炭や薪などの燃料として使い、椎茸の原木とし、山菜やキノコを取りといった頃は、里山は人々にとってなくてはならないものでした。 入会地とされていた所も多かったのでしょうが、落ち葉かきからはじまる手入れがきちんとなされ、ナラは萌芽更新し、私の仕事場の小川町でも炭に最も適したクヌギは植えられてもいました。 しかし、今や山の持ち主は直接の里山の使い手とはならなくなりました。山菜やキノコを時々取ることはあっても、後は椎茸(または炭)の原木として売るのみ。お金に換算しようとするとこういう手しかないのですが、これが本当に安い。 小川町あたりで最高で一反5万円、これが栃木あたりだと何分の一かにしかなりません。手入れしてもプラスにならないと言う人工林以下です。で、時々人工林の持ち主に「山をきれいにして欲しい」と言って、人工林の中のナラ、クヌギの伐採を頼まれます。ゴミ扱いです。切った後は、スギ、ヒノキが植えられます。 山をまったく使わない不在地主は、開発にひっかかって高く売れる、そのためにだけ雑木の山を持っています。このような地主が小川町でも大部分を占めています。 雑木山が経済的にペイするのは難しいでしょう。今よりは高くなってもいいかとは思いますが、そうすると椎茸栽培や炭焼きが成り立たなくなってきます。 山が安定的にあり続けてくれないと私の炭焼きという営みは危ういです。12年で切るとして、一年で切る山の12倍の山を所有するのが一番ですが、と言って、山を買う財力はなし。この冬に切ったクヌギ山の地主さんも、「駐車場か何かにしたいと思っていたが、市街化調整区域でそれも展望はない、できれば売りたい」と言っていました。買うと150万円以上、立ち木は今回高く買ってそれでも2万円。こちらとしてはどちらを取るか一目瞭然です。 今考えてどこが一番安定しているかというと公園での伐採から出てくる原木かなぁ。情けない。これも、小川町近くでは間伐程度でまだ焼いていません。所沢では部分皆伐で結構出ているので、いい原木(最高はクヌギの直径10cmまで)なら、片道50キロ走っても、もらいに行こうかと思っている程です。 有機農業の堆肥供給はもちろん自然の多様性からしても雑木林の豊かさは貴重です。何と言っても見ていて美しい。これが経済的価値だけで、切られてしまうのでしょうか。 国有林の中の雑木山も伐る以上経済林に入るとして、これが民間の手に渡れば、経済的な価値のなさから、どんどん開発対象にされるだけでしょう。国有林全体からすると雑木山(里山)はそれ程でもないのでしょうが。 ▲共有林の復活は? 97/5/1
私は、炭焼きを志す前に山を歩いていて、雑木の山の美しさにひかれました。よく尾根の片方の斜面が人工林で、反対斜面が雑木の山っていうのはよくありますよね。それを見て、なんて人工林はつまらないんだろうと思ったものです。 その頃は、開発はとにかく許せん、美しい広葉樹を切るなんてもってのほかと思っていました。美しいから残したいというのはいいんだけど、これだけでは弱いというか、事実を知らなさすぎますよね。人の手が入って、そしてそれも典型的なナラ、クヌギの山の場合、部分的にしろきれいに残さず切ってやる、最も自然保護の攻撃の対象とされる「皆伐」してやることで、はじめて雑木の山も美しさを保つわけです。 この国の山に言葉本来の意味での原生林はないと言われています。極相の原生林に最も近い白神山地でさえも、地元の人々の狩猟や山の幸、川の幸の採取が古来から営々と続けられたからこそ、守られてきたと言えそうです。ましてや、この国の一般的な山は、ほとんどが、人が歩き回り、利用し、手を加えてきた。そうしてこそはじめて、山は美しく、生き生きとしていたわけです。それが、40年程前、多くの人々と山との関係が切れる一方で、一部の人のお金を産み出す源となった。開発はもちろん、拡大造林という形で。 山は、美しく私達を精神的に豊かにしてくれ、水資源確保し、洪水を起こさせない、さらには、山が豊かでなければ、その下流は豊かにはならないでしょう。 漁場を確保するために山を守ろうとされているぐらいだから、田畑の豊かさも山に一定影響を受けるはず。 これからどうするか。人工林については北米の天然の針葉樹が減ってきて、遠からず輸入材があまり入って来なくなるんじゃないか、と完全に門外漢ながら勝手に思っています。たとえそうだとしても、それまでいかに乗り切るかが大問題なんでしょうが。さてここでは、里山を含む天然林をどうするか。 最近、新聞の投書欄でよく見かけるのが、人工林は手入れをして、天然林は手つかずにすべきという論調です。これが、経済林と環境林の二分の基底にあるものなんでしょう。特に、ナラ、クヌギ林についてはとんでもない話です。 国有でも、民有でもない共有なんていうのは無理なのでしょうかねぇ。入会地という良き歴史があるわけで、そこに学んでなんとかできないものでしょうか。 と、ここで以前読んだ鬼頭秀一「自然保護を問いなおす−環境倫理とネットワーク」を読みなおしてみました。国有林野法の中に入会権を法的に認めた「共用林野制度」というのがあるんですね。薪炭については薪炭共用林野、山菜やキノコの採取については普通共用林野という。これは伝統的な入会権を認めたもので、設定域も減って行くばかりなんでしょうけど、これまで国有や民有だった森林をこれに近い形の共有に変えていくことってできないものでしょうか。どういうプロセスでやるか、金はどうするか、共有の有資格者はどう線引きするか、管理をどうするかなど考えねばならないことは多いですが。 ところで、この本によると白神山地も薪炭林として利用されていたんですね。ブナを切っていたそうですが、切り方は部分皆伐か間伐だったのか。その中で巨木は意識して残そうとしたのか、結果的に出しの悪い所の木が残ったのか。これも知りたいところです。 ▲山で稼ぐこと 97/5/20 管理を放棄した民有林が、所有と切り離して管理、経営できるようになればいいと思います。 ただ、管理と経営とはかなり違いますよね。 内山節さんの本なんかを読んでみて思うのはやっぱり山をお金でみてはいきづまるということ。しかし一方で山にかかわってそれで食っていこうとするとどうしても、そこが一番の問題になります。 里山、そしてそれに連なる奥山にしても、商品経済とかかわりのないところ、つまりいくらお金を産み出すかとかかわりがなかったからこそ人と森のいい関係がずっとこの30〜40年前まで続いてきた。お金をうみだす物となった時から行きすぎた人工林化や開発で荒廃して行った。と、理屈ではわかっても、それをなんとかしようというこちらの側がもうどっぷり商品経済に漬かってしまっている。私なんかは、街の工場で働いて、休日に山に行って「いいなぁ。守りたいな」と思っているというじゃ、自然との関係が疎外されゆがんでいるなと感じて、もっと山にかかわり、それを生活していく糧にしようとした(と言うかしている)。 そうすると、今度は山をお金をうむものとして見てしまう。内山さんの言い方でいうと、結果としてお金になるかどうかを問わない「仕事」(これが里山を支えてきた)ではなくお金を得るための「稼ぎ」の対象として山を見てる。 たしかに、天然林が好きで、これを生き生きさせたい、守りたいということでこの炭焼きという業を選んだのですが、それはいつも心していようとは思ってはいるのですが。 目指すべきは、生活をお金から少しずつでも解放させてお金を稼ぐことから自由になることで、炭焼きを含めた山とのかかわりをできるだけお金のための「稼ぎ」より暮らしと重なる「仕事」の面が強くなるように持って行くことなのでしょう。 でもね、今や軽トラはじめなにがしかの動力に頼らないと山とのかかわりは考えられないし、子供の教育費は物々交換とはいかないし、、、と考えるとどこまでお金から私達って自由になれるのでしょうか。 ▲木のぼり〜縄で足場を作って 1997/10/15
数日前から、炭の原木伐採を始めてます。これがまた厄介な木で、7年程のスギ山に覆い被さるようになってるコナラ、クヌギの20才代の物。そのまま切るとスギをなぎ倒すことになるので、ワイヤーで引っ張ります。途中に滑車を付けて、角度を変えてワイヤーを機械で引くのですが、大きめでかなり重心が杉山にかかっている物は結構高い位置にワイヤーをかけなければなりません。はしごでは足りません。 先日はちょっとそれを怠ったので、スギを何本か曲げてしまいました。 はしご以上に木に登らなくてはならない時、どうするか。 まずは、幹にロープで足場を付ける〜というのを今日師匠から教わりました。 径3cm程長さ40cmの枝を荷縄にて、幹に付ける。その時、枝の下に縄で輪を作るようにして、これで二段のステップのできあがり。枝をもう一本用意して、その上にまた同じように二段のステップを作る。不要になった下のステップをほどいて、さらにその上の幹に縛り付ける。こうやっていくと無限の高さにのぼっていける。 −−−とここまでが講釈で、今回ははじめてということで、枝に縄を巻き付けたものをベルトにひっかけて、はしごをのぼって、枝を目の高さに縛る。足が枝になかなか乗らなくて苦労しました。でもおかげで、結構上にワイヤーをつけることができ、木はうまく切れてくれました。 ▲コアラになる〜木のぼりツメ 1997/10/16
ツメを使っての木のぼり、今日はじめてやりました。しっかり体重を後ろにそらせて、張り詰めた安全ベルトに両手をかけ、蟹又になってツメを幹に蹴りこんでのぼっていくのですが、いやぁ疲れた。はしごの高さの倍半くらいのぼったのですが、バテバテ。じか足袋でやりましたが、ツメを付けるだけで痛い。 今日のは胸高35cmくらいのクヌギです。枝がしっかり出ているので、その部分はツメだけで身体を支えて、安全帯をはずして、枝をくぐらせてまた止めなくてはなりません。この時が怖い。あとつい地上を歩く時やはしごを使う時、股間が狭くなって、ツメで足を突き刺しそう。 でもおかげで、ワイヤーを木の高い所に取り付けられて、伐採はうまくいきました。失敗していたら家がつぶれるというヤツでしたから、本当に良かった。 このところ気を使う山ばかりで、あーたまには、気を使わずに下からバサバサ切れる山をやりたいなぁ。 ▲地下足袋と安全靴 98/4/17
私は以前から、この国で足袋がはかれ、ヨーロッパで靴が発達したというのは思想の違いがあるんじゃないかと考えていました。 自然に対してどう向き合うか、自分たちを自然に対してどういう位置に置くかの違いです。靴底を厚くして足への衝撃をやわらげるとその分、歩くことでの土への打撃は大きくなります。人間に対して自然を外に置き、自然を支配しようとしたヨーロッパの近代思想が感じられます。一方、自然の中に人間をも入れてもらい自然を直に感じつきあっていこうというこの国というより、東洋的な思想の一つの現れが地下足袋なのではないかと。 地下足袋を履いていると地面の温度や湿度が伝わってきます。これが気持ちいい。ただ、足袋の裏にゴムをはったのは明治以降で、これはひとつヨーロッパ近代に近づいていった結果なわけです。足袋にわらじをつけていた時の方が、もっと地面に対して、柔らかな歩き方をしていたはずです。沢登りで、滑らないように地下足袋にわらじをつけて歩いてましたが、しなやかに膝から下を動かして歩くとわらじが倍以上持ちがいい。やじきたの頃はみんなそうやって歩いていたのでしょう。 さて、山仕事での地下足袋です。なたやノコや斧だけの時代は、これがぴったりだったでしょう。でも、今やチェーンソーがなければ、仕事にならなくなっている。近代化そのものです。ここで、足元だけは東洋的にというのは無理があるでしょうね。 私もできるだけ、チェーンソー作業の時は、安全ブーツをはくようにしています。 ただ、地下足袋の軽さを優先させる時もあります。伐採で、逃げることが一番の時は、やっぱり地下足袋を選択する時もあります。 それと、自然とともに在り続けたいという東洋的な考えも、山仕事する上で大事にしたいと思ってます。 ▲伐採した山いろいろ 99/4/16
仕事をしている埼玉比企地方は、そろそろ芽吹き間近です。昨年10月頃からの伐採の季節も、今月一杯で終わり、山の片付けに追われています 今年はいろんな山をこなしました。 最初は平地の屋敷林の切りました。となり町の岡部町は、起伏のまったくないまさに関東平野で農地の区画がきちんと整理された畑作、牧畜地帯で、そこの家の裏の防風林で、家に近かったり、車道に近い木です。最初の頃、危なく家の方向に倒れてしまったりして、後は慎重に、チリホールを2台使ったり、くさびを打ったりして、危なげなく切れました。木のはしごを使って、なるべく高く登って引っ張る支点を取るのも危ないし、木の上での枝落とし、何より倒す時にまずい方向に行かないかととても神経を使います。段取りもかかるので、一本切るのに時間がかかる。その分、出しは軽トラを横付けできて楽ですが。 次は、採石場の山のてっぺんにあるクヌギ山にかかりました。山の上から、急な斜面をクローラ運搬車で10分以上かかって降ろしますが、数少ないクヌギの山なので、しかたありません。貴重な木なので、しっかりと炭にするまでの乾燥時間を考えて、少しずつ切っていきました。山ですから、気を使うこともなく、気楽に切れます。教科書(「伐木作業者安全衛生必携」)を読んで、切っていきました。ツルが残って、 うまくゆっくりと倒れてくれた時はきり口もほんとうに教科書どおりになっているも のです。 この山がむなしいのは、切った後、山は山でなくなって、石取りのために崩さてしまうためです。切った後、根元から芽が出てくれて、また10数年後に切らせてくれよな〜なんていうことがない。私の山でのこの営為はここで遮断されて、先がないんです。この山は一面、それは持ち主の自慢のクヌギの良林だったそうです。それが今や下から崩されて、山のてっぺんにちょいと残すだけになって、それも今回私が切っておしまい。石取りは、ちょうど私の産まれた1960年の少し前から始まったそうです。石取りが終われば、山への再生へと向かうのでしょうが、土壌ができて、山が生き生きしだすには、百年では足りないでしょう。私はせめていい炭に仕上げて、このクヌギたちに報いるしかありません。 少し前からかかり出したのが、いわゆる里山に一番近いかなぁ。ゴルフ場建設の一環として、そこへ向かう道を通したのですが、今やゴルフ場は頓挫して、立派な舗装道路だけが残って、それを利用してゴミを捨てにくるのがいるので、山をきれいにして、捨てにくくしてほしいとのことです。コナラを中心にクリ、桜、アカシアなどの雑木林です。 人の背丈の倍近くの笹で覆われています。ツルも結構あって、木の成長を阻害しているのもよくわかります。刈り払いもここまでくると大変です。でも、刈り払いの終わった所は、陽が入って、とても明るい。山が元気になってくれたようで、とても気分がいいです。山が生き生きしてくれるとこっちも力をもらえるような気になります。 刈り払いのすんだ山って見ていて、きれいで、飽きない。畑で野菜を育てたり、ベランダで花を面倒見るのと同じですね。そうやって、人がちょこちょこ手をかけて里山って維持されてきたんでって、改めて思います。この山もすそには小さな田がだんだん広くなって続いていて、典型的な里山の風景で、心落ち着くものがあります。田んぼが始まる5月終わり頃までには、今シーズンの片付けを終えて、あとは秋以降にぼちぼちやることになります。 ▲山のなかにいる 99/5/6
最初の頃は、木を伐採する時に、ミシミシ、ドサッと倒れる時に自然にチェーンソーを持っていない左手だけですが、合掌していたのですが、最近それが少なくなりました。木を切る時に「ごめんな」と思えないのは、これはヤバイかなとも思いました。 でも、また最近そうじゃないんじゃないかと思えてきました。切ったからって、木はいのちが絶たれるわけじやない。根はしっかりと生きていて、またすぐに芽を出す。木が倒れて、そこに陽が差しこんで、芽吹きを後押しする。林床の草花も明るい陽と風に乗って、活気づく。山が元気になる。私の一生なんかをはるかに越える長く長く続くいのち、そして様々ないのちがいろいろと関りあっている総体としての山。そこに私が小さいながらも、少しはかかわって、力を貸すことができたという喜びを感じるんです。 山(木)が在り続けてくれるから、炭が焼ける、山(自然=いのち)の一部をいただくというのには変わりはないのだけれど、よりその「中に」自分を置けるようになったのかもしれません。
最終更新日2000/7/16 |
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